ピダパン

ブラジルのアマゾンに暮らしている400人ほどからなる少数民族に、

伝道師としてピダハンの村に赴いた著者がピダハンの世界観に衝撃を受け、逆に無神論へと導かれてしまう。

そしてピダハン語には従属節、数詞(1.2.3...)、色や左右を表わす言葉などが存在せず、普遍的な文法則に当てはまらない。自分たちが直接体験した事実や話しか信じないという原則をもち、神も神話もない。

 

など『現代が普通』と思ってしている人達が読むと、

色々と衝撃的な事が書かれている。

 

だけど

僕はすごく似たモノがあるのでピダハンの意図が分かる。

 

数を表す言葉が無いと本の説明に書かれてあったけど、

確か正確には

「1・2・3いっぱい」みたいに書かれていた思うけど、

これって

ピダパンは今に生きているからだと思う。

今を仏教風に言うと刹那と言うのかもしれないけど、

1刹那って現在の単位にすればと0.013秒ぐらいと言われている。

その0.013秒で数が数えられますかという事。

0.013秒ならパッと見た数しか認識できないから「1・2・3いっぱい」となると思う。

ちなみに僕も数は数えられない。

ある程度数を数えるとリセットされて数が分からなくなる。

 

それと右左

これは中心があって左右が生まれるけど、

じゃあその中心はどこですか?

と言う話

 

現代では自分を中心にして左右を表現する場面が多いけど、

例えばワンネスと言われる

全ては一つという状況だと

左右ってどのように定義するの?

ってなるよね。

 

多分ピダパンの人ってワンネスでは無いけど、

すべてがほわほわした感覚なんだと思う。

 

それとか

「他人の気持ちが分からない」場面なども多く書かれているけど、

 

これって現代に当てはめると

発達障害と言われると思う。

 

そしてこの感覚って

今の若い人にも共通していると思う。

 

 

ピダパンのような発達障害が人間本来の感覚で

普通・当たり前・常識と言われている方が異常なのかも

と思える本でした。