明治を代表する日本画家・橋本雅邦(がほう)の屋敷には、
丹精込めた庭があった。
ある日のこと。
庭師が、いつものように屋敷へ入ろうとすると、この家の夫人から、
「もう仕事はお断りしたいと、主人が言っております」
と告げられた。
一方的な解雇通知である。
「なぜでございますか」
驚いて尋ねても、
「理由は、何も聞いておりません」
としか返ってこない。
雅邦は常に、
「植木のことは専門家に任せておけば間違いない」
と言って、この庭師を信頼していた。
彼の仕事に口を出したり、苦情を言ったりしたことは、一度もなかったほどである。
自分としては、精一杯、やってきたつもりである。
どうしても、黙って帰る気にはなれない。
「どこに落ち度があったのか、せめて、理由をお聞かせ願えないでしょうか」
と、夫人に懇願した。
雅邦は、人を非難するつもりはないので、多くを語らない。
しかし、庭師が謝っていると聞いて、ようやく家族に事情を話した。
「実は、昨日、庭に面した障子のすき間から、あきれた光景を見たのだ。
あの男は、自分が剪定(せんてい)して地面に落とした枝を、
ほうきか何かで丁寧に掃こうとはせず、
足でかき集めていた。
手ですることを足でするようになっては、
もう信用することができない。
人が見ていないと手を抜いたり、横着したりする者に、
大事な仕事ができるはずがないのだ」
この言葉は庭師の肺腑(はいふ)を貫いた。
仕事に向かう気の緩みや心得違いを、一瞬のうちに見抜かれていたのだ。
深く恥じ入り、誠心誠意、詫びる庭師。
その心が、雅邦にも伝わり、
再び許されて、植木の手入れを任されるようになった。
画家として一つの道を究めた雅邦の指摘は、鋭い。
しかし、
「そんなささいなことを、なぜ」
と文句も言わず、自らの心を見つめた庭師も、立派である。
この教訓を、生涯、忘れずに励んだ庭師は、
やがて「名人」と呼ばれるようになったという。