良いお話です。

良いお話です。

 

相田 公弘さんのFacebookから

 

 Facebook見れない人には下記に文章添付してあります。

 

 

「人が見ていないと手を抜いたり、横着したりする者に、大事な仕事ができるはずがない」
明治を代表する日本画家・橋本雅邦(がほう)の屋敷には、
丹精込めた庭があった。
 その植木の管理は、一人の庭師に任されていた。
ある日のこと。
庭師が、いつものように屋敷へ入ろうとすると、この家の夫人から、
「もう仕事はお断りしたいと、主人が言っております」
と告げられた。
一方的な解雇通知である。
「なぜでございますか」
驚いて尋ねても、
「理由は、何も聞いておりません」
としか返ってこない。
雅邦は常に、
「植木のことは専門家に任せておけば間違いない」
と言って、この庭師を信頼していた。
彼の仕事に口を出したり、苦情を言ったりしたことは、一度もなかったほどである。
自分としては、精一杯、やってきたつもりである。
どうしても、黙って帰る気にはなれない。
「どこに落ち度があったのか、せめて、理由をお聞かせ願えないでしょうか」
と、夫人に懇願した。
雅邦は、人を非難するつもりはないので、多くを語らない。
しかし、庭師が謝っていると聞いて、ようやく家族に事情を話した。
「実は、昨日、庭に面した障子のすき間から、あきれた光景を見たのだ。
あの男は、自分が剪定(せんてい)して地面に落とした枝を、
ほうきか何かで丁寧に掃こうとはせず、
足でかき集めていた。
手ですることを足でするようになっては、
もう信用することができない。
人が見ていないと手を抜いたり、横着したりする者に、
大事な仕事ができるはずがないのだ」
この言葉は庭師の肺腑(はいふ)を貫いた。
仕事に向かう気の緩みや心得違いを、一瞬のうちに見抜かれていたのだ。
深く恥じ入り、誠心誠意、詫びる庭師。
その心が、雅邦にも伝わり、
再び許されて、植木の手入れを任されるようになった。
画家として一つの道を究めた雅邦の指摘は、鋭い。
しかし、
「そんなささいなことを、なぜ」
と文句も言わず、自らの心を見つめた庭師も、立派である。
この教訓を、生涯、忘れずに励んだ庭師は、
やがて「名人」と呼ばれるようになったという。